アイキャッチ画像は、スプーン作りで失敗したものです。最近の出来事です。何か別のものに作りかえる予定です。表題は、『つくる事に隠された真実』と仰々しく書いてますが、都市伝説好きな方は申し訳ないです。闇も光もなく、ふくちゃんの想いだけ書いてます。わたしにとって、真実である事は間違いないです。
ポンペイ展で感じたこと
昨日、ポンペイ展をみたくて東京国立博物館にいきました。
ポンペイは、西暦79年イタリアのナポリ近郊にあるヴェスヴィオ山が噴火して、火砕流に巻き込まれて5m以上も埋まって壊滅した都市です。1800年半ばまで発掘されておらず、眠れる都市でした。
今現在も発掘は、続いています。
展示品をみて驚いたのが、町が区画整理されており、水路も整備・水道管や水量を調整するバルブもありました。
そして、ガラス細工・金属製品(鉄・金・ブロンズ)・モザイクタイルの絵や床。
生活に使われるキッチン道具・工具・楽器
約2000年前のものですが、現代人も使っている物が多く、デザインなどとても細かいものでした。
現代においてもまったくもって、見劣りしないものでした。
しかし、わたしはどれも作れないです。
ポンペイと場所はかわって100円ショップにある商品もわたしは作れないものばかりです。
『つくる』ことへの憧れ
父が、職人でした。
その父が、自分がたずさわった現場の前を車で通ると、
「ここは、わしが作ったんや」
と嬉しそうに言います。そして、その現場での出来事をスラスラと話し出すわけです。
関西を父と車で走ると、「ここも、ここも、わしが作ったんや」と、まるで街にあるビルのほとんどが自分の所有物であるかのようです。「いつから大会社の社長さんになったん?」と突っ込むのが、いつもの事なのですが、うるさく感じるときもあります。
メーカに就職し、物作りの現場を見て触れるのは、とても楽しかったです。
そして、自分がたずさわった機器は、製造工程で起きた事をよく覚えています。
開発から製品化まで苦労した機器は、退職した今でも、どうしているのかな?
と氣になり、少し父の氣持ちがわかった氣がしました。
つくりはじめて氣付いた氣持ち
奈良県の木コリさんと出会い、木工品を作ることになりました。
作っている最中は、楽しい!な大変!時間がすぐに過ぎる!下手(笑)と色んな事を考えます。
そして、完成すると今までかけた時間を忘れるくらい、嬉しい氣持ちになり、愛おしく感じます。
下手だったとしても、めっちゃええやん♬世界一やん♬と思っています。
傷一つにドラマがあるわけです。「あ~この角度難しかったな」とか。
なぜ愛おしく感じるのかを考えてみました。あくまで、わたし個人の考えです。
わたしは、いつか死にます。ですが、今生きている時間をこの木に注いで形としてのこせる事は、ある意味わたしが生きた証であって、その瞬間を生きたわたしの命の記録だと思ったんです。
自分の作品に愛着を持つと、他の人が作った作品も愛おしく感じてきました。
すると、自分の周りにある全ての生活用品が誰からの手で作られていて、それは誰かの命の記録だと思うと大事にしたくなり、感謝したくなったわけです。有難う!って思うわけです。
普通に暮らす中でそんな風に思う必要もないのですが、そう思っちゃうんです。
そして、もう一つ思うことは、
お金をだして何でも買える豊かな世の中になった事で、
つくる幸せを奪われてしまってないかな~ということです。
物を買うためにお金を稼ぐ必要があり、稼ぐために仕事に時間をつかい、仕事に時間を使うのでつくる時間がない、つくる時間がないのでもの作りの幸せが味わえない
お金は便利な物なので、ここのバランスが必要になってくるな~と感じています。
あくまで、勝手におっさんが考えている事なので、あまり氣にしないで下さい。
つくるには、まさに『今』があった
現代社会においては、お金を出せば、物が買えます。わたし自身、お金がある人が豊になれるのだと思っていました。
ですが、もの作りをして思ったのが、つくっている段階から 心が豊=幸せな事 ということです。
無心でつくり、失敗しようが数秒前から形が変化し進化し、あーだこーだ考えて試行錯誤し、自分が納得する形に近づけていく、時には手だけが動く日があったり、使ってくれる人を想像してみたり、それって幸せな事じゃないですかね。
そして、つくることは、常に『今』を生きてます。
脱線しますが、わたしは悩み症です。
一番酷かったのは、十代でして華の十代なんて思ったこともないです。誰よりも悩み続け、十代を楽しめなかった自信があります(‘Д’) 当時、悩み続ける事で現状が変わる事はなかったです。現状を変わっていったのは、自分の行動の積み重ねでした。そして、つくる事は常に行動しかないです。だから、今を生きられる、つくるということが、わたしに合っているのかもしれません。
つくることから見えた応援したい人
つくるのは、農家さんもそうだし、色んなところで作るが行われていますね。
つくると言えば、料理もそれにあたりますよね。母がいつもご飯を作ってくれたことが今さら有難く感じます。母の手料理で体が作られました。時には、寮母さんやお店の方、色んな方の『つくる』が自分をつくってきました。
仕事でなく、
毎日家族や誰かのために料理を作っている方
子供の幼稚園の袋を編んでいる方
声を大にして言いたいです。
「あなた方は凄いです!!!」
毎日、料理をつくり、生活をつくり、子供一人を大人にしていくって凄くないですか?
子供は日本の未来ですよ、日本の未来を、自分が作る料理で大きくしていくわけですよ!
なので、わたしは勝手に応援しちゃいます。
「偉すぎ!凄すぎ!!カッコイイ!!!キャー( *´艸`)」
つくることで人生をつくる
つくることは、様々な人の人生をつくっている事がわかりました。
だから、わたしも『つくる』を通して、自分の人生をつくっていきたいわけです。
つくる過程に色んな出来事があって、結果的にそれが人生になっていくような、
うまく言えないですけど、つくる行為が人生の縮図の様な氣もしています。
理解し難い所も沢山あると思いますが、正解や不正解を示したいのではなく、自分の経験から思った事を書いています。ご容赦ください。
ほな、良い一日を♡
『つくるひと』は、『つくることで人生をつくる』
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◎マカロニ健康家族という自然食品店を東京神田でやっております。
◎奈良県黒滝村から木製品を仕入れています。わたし自身も木工品をこれから作っていきます。
よかったらみてね(^_-)-☆
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